ロングエッセイvol.1

こんにちは、いのせです。
今回はすこし長めのエッセイです。
庭に住む生き物
庭に生えた2本のさくらんぼの木の周りを、ぶんぶんと元気よくハチが飛ぶ。とにかく幼心にハチが怖かった。もしも刺されてしまったら、想像もつかないほど、恐ろしい事が待ち構えていそうで、怯えていた。さくらんぼの花が咲く頃、庭に出ることが憂鬱だった。
いつもわたしの我儘を聞いてくれる祖父に、ハチが怖いからなんとかして欲しい、頼んだ。しかしさくらんぼを食べるためだから、我慢して欲しいと言われた。頼みを断られることは稀だったし、我が家のさくらんぼは小さな自慢でもあった。だからこれ以上なにも言うことができなかった。こちらから攻撃しなければ、きっと大丈夫だから、というのが祖父の主張だった。
しかし友達を家に呼んだ時、ハチが怖くて家の中に入れないと言われた。
わたしも怖いけれど、刺されたことがないよ、と伝えたがついにその子は諦めて、近くの公園で遊ぶことになった。どうしてわたしの家だけ、恐ろしい生き物が住み着いているのだろうと、恥ずかしかった。
祖父が傘寿を迎えた頃、もう育てられそうにないからとさくらんぼの木を2本ともばっさり切り倒した。教えを忠実に守ったわたしは、幸運なことに、今に至るまで一度もハチに刺されることはなかった。
それ以降の我が家は、さくらんぼの花は咲かず、ハチも訪れない一般的な家になった。
数年後旅行先で出向いた道の駅で、はちみつがずらりと並んでいた。
そしてその種類の豊富さに驚いた。
アカシア、りんご、みかん、栗、さくらんぼのはちみつ。おなじはちみつでも色も香もまるきり違うのだ。
もし自分がハチとして生まれたなら、どんな蜜を集めたいだろう?なんて想像したら、内側からむくむくとエネルギーと好奇心が湧いてきて、気づけばいろんな種類を買っていた。
きらきらと溶けた黄金のようなはちみつは、あの恐ろしい生き物が作り出したものとは思えないほど美しかった。ティースプーンいっぱいに掬って、ハチの一生の重みを感じながら、いただきます、といって口に入れる。
そういえば祖父が言っていた。
ハチがうちのさくらんぼの木を選んでくれて嬉しいと。
今になって、少し気持ちがわかる気がした。
くよくよした日の処方箋
仕事でつまらないミスをしてしまう時、あります。
それも工夫の余地がないような、凡ミスであればあるほど、どうしてこんなことと謎に落ち込んでしまうのです。
さらにそれが金曜日の夜だったりすると、さらにダメージが大きいです。
せっかく、さあこれから土日がやってくるとウキウキするはずの夜が、もう台無しです。
そんな時には、こころの処方箋が必要となるわけです。
わたしはいつもコンビニに一人で駆け込みます。弱ったこころに効く食べ物を求めて。
あたたかく、ふわふわしたはんぺんなどは最高でしょう。ささくれまみれの心に黄金のあまじょっぱいスープをごくごく飲めば、半分くらいは回復できるでしょう。
もしくはアイスクリーム、しっとりと濃厚なミルクのアイス。
クレープに包まれたクリーム入りのアイスでも、より口当たりが優しくなってこころの栄養補給ができるはずです。
もしくは普段は距離を取っているお気に入りのカップ麺なんかは、今こそたべる時だとも思うのです。揚げたてのチキンとカップ麺を食べてしまい、何もかも忘れてしまうのも手でしょう。
普段なにかにつけて我慢することの多いコンビニスイーツは、きっとこんな日のためにあると思うのです。迷わず、カゴに入れていいと思うのです。
お家で北海道旅行
小さくてきらきら美味しい、食べる宝石がある。いくらだ。
初めて食べた時からいくらが大好きで、これから先もその熱が冷めることは想像がつかない。いくらは子供に人気の食べ物であるイメージがあるが、きっと90歳になっても子供に負けないぐらいいくらが好きなおばあちゃんになると思う。
もし街中で「美味しいいくらのお店があるんだけど、」なんてナンパをしてもらったら、ついていってしまうかもしれない。そのぐらいいくらが好きなのだ。
あの食感も味わいも、一つ残らず味わいたい。
だからほかほかのご飯に乗っけては食べ、軍艦にしては食べ、いくらを一粒ずつ味わっては食べ、毎度飽きずに悶絶した。
それもあり、幼い頃から北海道に行ってみたい気持ちがあり、その思いは年々育っていった。
おそらく地に降り立ったら脇目も振らず小猪を守る親猪のように「海味 はちきょう」に突っ込んでいくと思う。
札幌市時計台もサッポロビール博物館も白い恋人パークも一旦はまだだ。
とにかくお腹が空いたらはちきょうに飛び込める距離にずっと滞在していたい。
そんなはちきょうを拠点とした旅行を誰を誘えばいいだろう。北海道はひろいのだ。誰だって北海道を忙しく飛び回りたいに違いない。
だからわたしのはちきょう旅は、一人で行くしかないことになる。
それにしても長年の夢を叶えると思うと少し恐怖があるのはわたしだけじゃないはずです。何年も前から、いつかオーロラをこの目で見てみたいと言っていた母が、なかなか計画に乗り出さない理由もわかる。きっと叶ってしまうのが恐ろしいのです。
臆病なわたしは、はちきょうに行く計画をなかなか立てることができません。しかしいくらをふだふだ食べたい。そのため、お家ではちきょうごっこをすることにしました。言うなれば、本家はちきょうに行くための練習です。人見知りのわたしは、遠慮してしまうでしょう。
もっとかけて欲しい!と思いながら、そろそろこの辺が潮時かなというところで「す、すとっぷ」といってしまうはずです。当然それで良いわけですが、本当はもう少しかけて欲しかったな…なんて寂しい思いをしなくて済むよう、予行練習をするわけです。
12人前のいくらを取り寄せて、全て解凍し、友人に盛り付け役をお願いします。
「おいさ〜」「よいしょ!」「よいしょ!」
絶対に丼からいくらが溢れるまで、STOPと言わないぞと決め込んでいました。しかし6人前のいくらが丼に乗った頃、気づけばストップと言っていたのです。
しかし、結果的におうちはちきょうは満足の行く経験でした。
またおうちはちきょうをやりたい。そしていつか本当のはちきょうでお腹いっぱいいくらを食べるのだ。