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ハレとケについて考える【お洋服編】

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こんにちは、わいちゃんです。

生活を整えよう!と心に決めて、まず最初に取り組んだのがモノの断捨離でした。
その中でも特に力を入れたのが衣類の断捨離。

こんまりさんの本『人生がときめく片づけの魔法』(河出書房新社)を読んで感化され、しばらく袖を通していない服はもちろん、手入れが大変でついつい脱ぎっぱなしにしてしまう服や、クリーニングに出さないとと思いながらもはや2年経過した服など。

とにかく服の物量を減らすことに専念した結果暮らしはどうなったのか。
それは毎日の生活が自分でも拍子抜けするほど楽になったのです。

だってですよ、断捨離前の私はといいますと毎日毎日クローゼットパンパンに詰まったお洋服を眺めては、前夜から明日は何を着ようかと頭を抱え、脱いでは着て脱いでは着て、さらには家を出る直前でやっぱりこの服装は変かもしれないと着替え直していたほど、衣類に悩んでいたのです。

その悩みが断捨離の完了とともにパッと無くなってからというものの、衣類に注いでいたエネルギーがグワッと私のところに入ってきて毎日楽に生活できるようになったのです。それが大体2年前の出来事。

全25着、大体がお気に入りのいわゆる一軍のお洋服でクローゼットを埋めつくし、どれを着ても日常がパリッと決まっている自分史上最高のクローゼットの完成…だと思っていた。

ハレとケについて考える【お洋服編】

これでついに私にも素敵なミニマリストライフ!と嬉々として過ごしていたのですが、徐々に「?」と感じることが増えてきた。

毎日が一軍の服だと、徐々に生活にハリが無くなってくるということ。

まず最初に感じたのが、その嬉々とした生活が少しずつ薄れていったことだ。
例えるなら、毎日お気に入りのご飯屋さんでご飯をいただくようなものかもしれない。
もちろん美味しいし、満足はしているけれど、徐々に感動は無くなっていく。

さらに服となれば物質ですから劣化も避けられませんよね!

お気に入りの服を毎日着ているはずなのに、感動は薄れ、生活が平坦に感じるようになり、服の劣化は早まっていく。

劣化したのなら同じものをまた買ってもいいが、せっかく服を厳選しているのだから自分にとってとっておきの1着を見つける必要があるのでは、とさらに自分にプレッシャーもかかってくる。

そんなわけで一軍の服揃いのクローゼットに、疑問が湧いてくるのだった。

厳選したら汚したくない服が多すぎる

二つ目に感じたのは、汚してもいいと思える服がないということ。

洋服の費用を抑えるための鉄板といえば、プチプラアイテムを忍ばせる、が思いつく。
お気に入りのジャケットの中身は、実はプチプラアイテムとか、トレンドのバッグは今シーズンだけ使うつもりで安く買っておく、なんてことも費用を抑えておしゃれを楽しむテクニックとして以前雑誌で読んだことがある。

もちろん賢い買い方の一つではあるけれど、それは自分の心と折り合いをつけて決めるいわゆる妥協的なニュアンスもどことなく感じていた。

私が目指すのはやっぱり衣類の最小化、全25着という生活。
そこまで枚数を減らすならば別に妥協一切なしの、正真正銘私が心から一軍認定するメンバーで揃えたとしてもいいのではないか思っていた。

だからクローゼットは少し背伸びをして全てお気に入りのもので買い揃えることになった。
するとどうなるか、当たり前だけど、汚したくない気持ちが出てくるんです!!笑

毎日一軍の私でいる必要はない

全てが一軍ということは、料理をつくるにも一軍、スッピンでも一軍、ちょっと近所の激安スーパーに行くにも一軍なわけですよ。

来ている回数が多くなると、当然劣化だけでなく予想外のアクシデントに見舞われる確率も高くなる。

あらま醤油を引っ掛けちゃったとか、激安スーパーが思った以上に道が狭くて洋服が擦れまくっているとか、家の掃除で大汗かいている時だって一軍の服です。

だから頻繁に服の修繕やお手入れが発生する。染み抜きやほつれを自分出直したりするのは確かに楽しいが、その頻度が案外高い笑 そしてなにより汚すのではないかと多少のプレッシャーを常に自分にかけながら生活しているような気がした。

次第にスーパーにこの格好はなんか違うなとか、毎日着たいというわけじゃないんだなという思いが強くなってきた。ちょっと考えればそうですよね!でも案外見逃していることなのかもしれません。

お洋服にも食事と同じ「ハレ」と「ケ」を意識をもつ。
日常は毎日が安心して快適に生活できるだけの機能があれば十分だし、たまにおしゃれをしたい時にお気に入りの服を着ればいい。だって外出なんて月に1回程度なんだから。

学生時代や出社で毎日がハレだった

今思い返せば、どうして常におしゃれな自分でいないといけないと感じたのか。
長い学生時代、とくに大学時代は毎日のように人に会い、洋服に気を配りたいと感じていたからだ。

大学の中でも、都内のデザインに関する学校に通っていた私はとりわけ普段着からおしゃれな人間が集まっていたように感じる。だからこそ毎日おしゃれで1軍の自分でいなければと刷り込まれて10代の最後をすごした。

卒業してからも出社をすることが多かった時期が重なり、私服出社だったこともあいまって毎日がファッションショーは続いた。

だから衣服に関しても「ハレ」と「ケ」なんて概念は全く持ってなかったのです。

それが今の私は、出社はほとんどないし、友人との約束も月に1度から多くて2度程度。
完全に日常と非日常の境のある生活となった。

大学や、出社で人と毎日のように会う人には、「ハレ」と「ケ」に分ける生活はなかなか難しいことはわかる。

ただもしも以前と生活リズムが変わって、人と毎日のように合わない生活をしていたり、毎日「ハレ」のような服を着なくてもいいという変化があった方は一度ここで見直してみてもいいかもしれない。

念のため断っておくと、それは家では薄汚い服で過ごしてもいいじゃないかといいわいわけではなく、逆に洗いやすくて清潔で、それでいて汚してしまったとしてストレスのない飾り気のない服を日常的には十分なのかもしれないという話だ。

そんなことを今朝考えていました。

ABOUT ME
わいちゃん
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ブロガー
20代女性。東京都23区内月10万円でミニマリストの彼と同棲しています。
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