最近なぜ自炊が楽しく感じるのか考える【ゴールを作る】
こんにちは、わいちゃんです。
あんなに鬱陶しくて、なにかの罰ゲームのような気持ちで取り組んでいた料理。
それが気づけば最近は息抜きのようなポジションになっていることに自分が一番驚いている。
仕事の息抜きにちょっとお魚煮ておこうかな、なんて思う日がくるなんて1年前の私に話しても絶対に信じてもらえないだろう。
料理を好きになろうと頑張って取り組んでいたときほど、憎らしい気持ちが湧いてくる料理というのは不思議なものだ。将来のために料理ができた方がいいだろうと、料理を「将来のための修行」ととらえた瞬間から、自分の中でなにかストレスホルモンみたいなものがむくっと湧いている気がするのは気のせいだろうか。
今は将来のための投資、などとはみじんも思っていないのである。
ついでに白状してしまうと、美味しい料理を作ってやろうみたいな気概もないに等しい。
考えてみれば自分のための料理はこんなもんだろう、と背伸びもせず、かといって蔑ろにもせず、今の自分の身の丈にあった料理ができているということ自体が一番料理のストレスやハードルを下げているのだ。
最近なぜ自炊が楽しく感じるのか考える
つまりは今の自分にぴったりの料理を作ればそんなにストレスはかからない。
例えば背伸びをした料理。好きでもないプチトマトやら、ケールやら、レンコンやらの野菜たちを見栄えがいいから、もしくはレシピに書いてあるからと生真面目にカゴにぽいぽい入れていき、いざ作るとなって下処理の仕方も分からなければ味も好みじゃないときたら何のために作っているのか分からない。
でもこれ実際にやっていました!料理が嫌いなときほど、真面目に料理をしなければと思ってレシピに書いているものをもれなくカゴにいれ、旬の野菜をフル無視して作っていました!
自炊好きになったメモ①慣れない野菜を無理して買わない
好きじゃない野菜、食べたくない野菜、料理が苦手な内は買わんくていい!笑
その時点で大幅に無理しすぎています。いいのです、買わなくて。
まあ家族のために買わないと、とかもあると思います。
でも料理が嫌いの中は、自分の好きなお野菜やお肉だけで十分。
背伸びしなきゃいけないシーンなんて、他にいくらでもあるんだからまずは買い物カゴぐらい等身大でいっちゃうのです。そうするとどうなるか、そのうち料理が楽しくなってきて、いろんな野菜をちょっとずつ、ストレスなく料理できるようになっていく。まさに不思議。
自炊好きになったメモ②作り方動画を封印
料理が嫌いだった時必ずやっていたこと。それは「作り方動画を見る」!!
おいしい料理を作るために、作り方動画を見るのってもはや現代人の常識ですよね!
もちろん動画を作りながらの方が、おいしい料理ができるのは間違いないのですが、動画をみてその通りに作るというぱっと見簡単な作業なのですがこれがどうやら私には大変すぎたようなのです。
こちとら料理で手がベタベタなのに、すごいスピードで工程が進んでいく料理動画を、時折タップしては巻き戻してみたり、はたまた3分煮詰めるために、携帯のタイマーを起動してみたり。
タイマーがなったと思ったら、急いで次の工程を見る。そして料理をする。
なんと忙しない…私には無理…疲れた…となるのは必然なのです。
料理アプリは封印してしまう
そんな調子で1日に3品も4品も作ったら、正直疲れてしまうのです!
ということで、まずいの覚悟で作り方動画を封印しました。作り方の検討もつかないといったものは、一度だけ集中してじっくり目に焼き付け、そのあとは何がなんでも見返さない。
するとあら不思議、絶品とは言いませんがなかなか食べれる味なのです。
しかも料理時間がグッと短くなる!ストレス激減、工夫し放題!
たまたまおいしい味になったりすると、自分を褒めたくなっちゃうし、もしも美味しくないな〜ってときに作り終わってからレシピを見てみて、こんな方法が…!と事後学習するのもまた楽しい。
自炊好きになったメモ③片付けにこだわる
食事が終わる頃には、食事の前よりもキッチンとテーブルが綺麗になっているとそれだけで料理がすきになるのではないか、と最近感じているのです。
自炊が嫌いな理由に後片付けがめんどくさい、ってのありますよね。
料理が終わったキッチンには、野菜の切れ端や調味料が少しこぼれていたり、シンクに大根や人参の皮がぺろりと残っていたり、テーブルもなんだかごちゃごちゃとする。
つまりは料理が終わると部屋が汚くなる、というのがより料理嫌いを加速させていたと最近身に染みて感じるのです。
ふきんでキッチンもテーブルも全て拭き取り、漂白して終了
食事が終わると、食器もキッチンもテーブルも全て一枚のふきんで拭きあげる。すると終わりが永遠にこないように思っていた料理という家事がようやく終わったのだと実感するのだ。
家事に終わりを決める
終わりのないこと、って見渡してみると家事以外にもいろいろある。
それは健康のためにすることだったり、仕事だったり、節約だったりするかもしれない。
終わりがないことって奥が深いし、それだけ楽しみがいがあることも間違いないのだけれど、真面目に完璧にしようお思えば思うほどどこまでも完成していないような気がしていつまで経ってもすっきりしないなんてことにもなりえない。
特にできればいかなるところでも完璧にしようと心がけており、できなかったことを都度反省するような真面目な方ほど終わりなき〇〇に苦しめられるのではないだろうか。
そこで一つ、家事も、健康も終わりはないけれど、とりあえずのゴールというものを設定してみると自分の中で一区切りがつく。すると心が休められる。
できれば自炊をして器にもり、お皿を洗ってテーブルからキッチンまでふきん一枚で拭きあげたら誰がなんと言おうとも私の今の料理はほぼ満点ということにしている。
以前は栄養素のバランスが足りないのではないか、色味が寂しいのではないか、新しい料理に挑戦した方がいいのではないか、盛り付けは平気だろうかと自らかねられもしないハードルを設け日々減点式で自分を評価していたと思う。
それが毎日自分に満点をあげられるようになるだけで、料理が好きになるのだからなんとも得した気分である。
自分の中に終わりやゴールを設けてみる、それだけでずっと生活が楽になるのだ。