『メモ』関するエッセイ

こんにちは、いのせです。
暮らしのショートエッセイを書きました。

コピー用紙
小さいころ、コピー用紙でたくさん遊んだ。真っ白なA4のコピー用紙が、リビングにドンと置いてあって好きなだけ自由に使ってよかった。
だからそれを使って漫画を描いたり、絵を描いたり、メモをしたり、ちぎって折り紙にしたり、箱にしたり、ハサミを入れたりした。コピーして使うより、遊んで使う方が多かったぐらいだ。
その名残から、住んでいる家にコピー機はないのに、コピー用紙の束を置いている。今でもノート代わりやちょっとした工作に使う。
コピー用紙がドンと角を揃えて置いてあると、安心する。
誰がどんなコピー用紙の使い方をしても、わたしはきっと一生文句を言うことはないと思う。
家計簿も日記もデザートみたいに自由に
家計簿も日記も続かないのは、3日坊主の宿命だと思っていた。だけど、どうやら違ったかもしれない。大人になって、ある日魔法みたいに家計簿も日記も突然それらしいものが続くようになったのだ。
続けているといっても、わたしの日記はものすごく地味だ。LAMYの万年筆に詰めたPelikanのブルーブラックインク一色でかきあげた、恐ろしく地味な日記なのだ。他の人の日記を読んだことがないけれど、みんなどんな日記を書いているんだろう?
SNSなどで上がっている日記はマスキングテープやシール、カラフルなペンが使われていて美しい作品だ。まるでデコレーションケーキみたいに。
それに対してわたしの日記は拾いたての胡桃みたいだ。
ルーズリーフに書かれた、ブルーブラックのただの文字列の日記。可愛いケーキにはほど遠く、決して売れるような品物ではない。
毎日眺め食べるものなら、わたしは胡桃で十分だと思った。
いいことノートよりも、もやもやノート
嬉しいことをノートに書き留める習慣を持っている人がいて、素敵だなと思った。わたしはというと、嫌なこととか、モヤっとしたことをノートに書き留めている習慣がずっとある。
「あなたが今日食べたものを言ってみたまえ。あなたがどんな人か当ててみせよう」と昔フランスの美食家が言ったそうだけれど、「ノートに日々何を書き留める習慣があるか言ってみたまえ。」もまたどんな人か当てられそうだ。さすがにそのまますぎますかね。
いいことが10個あって、嫌なことが1個あった時、わたしは嫌なことが頭の中でいっぱいになってしまう脳みそを今の所持っている。だから、嫌なことをなくす事に結構エネルギーを注いでしまう。
モヤモヤした時、それらをノートに書き出せるだけしこたま書き留めるのだ。キッチン横のコードのぐちゃぐちゃが気になる、今日はお魚がうまく焼けなかったとか。そんな小さなことから、大きなことまで。
日によって書き留めることは、1日に10つくらい出ることもある。
たくさんもやもやが出せた時、すごく嬉しい気持ちになる。
これらのもやもやが解決したことを想像すると、嬉しい気持ちになる。嬉しいと感じたことを書き留めるよりもずっと。人間は複雑だ。