『中毒になる人』

どうも、いのせです。
暮らしのショートエッセイを書きました。
どんな方法で健康を保つか
働いてからというもの、本ばかり読むようになってしまった。というより、本を読まずにいられないの方が近い。大人になってから読書をせずには健康的な生活をおくれないという残念な体になってしまったようだ。
ところが、書店には『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)が平積みされており、おそらくたくさん売れているようなのです。ずっと平積み、ランキングコーナーでピカピカと輝いている。
そんな話題の本を正直なところまだ読んでいない。タイトルに釣られるどころか、タイトルで逃げてしまったからだ。
大人になると本ばかり読んでしまう人と、大人になると読めなくなってしまう人の身体には一体どんな違いが生まれているのか、全くの謎である。おそらく先述した本を読めば答えあわせができるのかな。
わたしは皆んなが本を読まずにどうやって健康な生活を保てているのか、その方が疑問だった。
その疑問の糸口を大学同期の旅行で見つけた。音楽だった。
わたしは音楽というものをほとんど聞かない。クラシックは好きだけれど、J-POPは中学生の頃から全くついていけなかった。聞き流すことはあっても、自分から再生して歌詞を覚えようとした経験は、ヘキサゴンの羞恥心くらいだ。
だから誰からともなくバスでイントロドンクイズが始まった時、みんなの曲の博識さにびっくりした。
音が曲になる前の数秒のみで、アーティスト名と曲名をずばりと当て合う人々。彼らは専門家でもなんでもなく、ただのサラリーマンなのだ。驚きの能力だ。ついに3時間のイントロクイズでわたしは一曲も当てることができなかった。後半は寝たふりをしていた。
前の中毒のはなし
まえはタバコを吸っていた。1日1箱くらいなので、まあまあ吸っていたと思う。好きな銘柄はキャメルのメンソール5mm。夜タバコがなくなってしまうと、凍える寒さに耐えながら、遠くのコンビニを何件もハシゴした。完全なる中毒者である。
その後あることをきっかけに禁煙した。それとほぼ同時期に本を読み始めた。
禁煙した直後は、禁断症状を誤魔化すように、薄い本であれば1日1冊くらい吸い込むように読んだ。
右ポケットに突っ込まれたタバコとライターは、その後バックの中の文庫本とペンに変わった。喫煙所に向かうはずだった時間は、図書館と書店に向かう時間だ。
同じ中毒であるはずだけど、本の中毒はずいぶん世の中の風当たりがいいみたい。
タバコを吸っていた時、友人と楽しくそれらの話をした。本を語れる友人は、今のところまだいない。今手持ちの本がなくなると、新しい本が手に入るまで何度も古い本を読み返してしまう。
推し活がむずかしい
世の中で推し活がスタンダードになって、ずいぶん経つ気がする。
今は好きなものをコソコソと応援する時代ではないようだ。リュックにぬいぐるみをじゃらじゃらつけた人を見ても、誰も何も思わないし、言わない。
10年ぐらい前は違った。
中学生の頃、ちょっとぽっちゃりした男の子の机の中からライトノベルが発見された。ライトノベルにありがちな、可愛くて胸の大きな女の子のアニメイラストが表紙に描かれていた。
当時読書は「パンの作り方」とかしか見てなかった私からすると、その男の子はずいぶん大人っぽく見えた。ずいぶん長い小説を、こそこそと大事そうに読んでいたから。表紙を見た時は、オタクだなとは思ったけれど、それ以上でもそれ以下でもなかったと思う。
しかしそのライトノベルは、クラスの目立つ男の子に取り上げられ、学年中で回された。性的な描写は、大声で読まれ、最終的に先生にまで渡され、本を取られた男の子は泣いた。
それが10年でこれだ。
今や推しがいないのは少々「つまらないやつ」という風すら感じる。
やはり推し活はむずかしい。