捨てづらいモノの理由を考えるシリーズ【便箋編】
こんにちは、わいちゃんです。
部屋の整理をしていたら、ストックされた便箋やメッセージカードをたくさん見つけた。
といいますか、以前より目には入っていたが、長年見て見ぬフリをし続けて来た。
これまでたくさん断捨離はして来たはずなのに、便箋に至っては長年使ってはいないことは確実なのだけど、これが捨てるに捨てられない。。
そのもやもやの正体について今日は考えてみようと思う。
捨てづらいモノの理由考えるシリーズ【便箋編】
そもそも便箋やメッセージカードをどうしてここまで溜まってしまったのか。
それは以前の仕事上いろんな方にお礼をお伝えする機会があったので、大量に買っておこうということになったのでした。つまりは仕事道具として買っていた。
しかし仕事が変わってからというものの便箋の消費はたちまち急降下。だったら処分でもなんでもすればいいのではという考えもチラつくのですが、それもなかなか踏ん切りがつかない。
どうしてだろうと考えると、便箋がなかなか手放せないのには複合的な理由があることに気づいた。これは他のモノを手放すときのヒントにつながっている気がしたので、ここでまとめておく。
便箋が捨てられない理由を考える。
まずは一つ目の理由は、なかなか捨てられない参考書同様、そうなりたい自分を捨てられないことにあった。
便箋が捨てられない理由/「いい人」を諦めるような気がしてくるから
「たくさん手紙を書く人=いい人」
自分でもめっちゃ短絡的だなあと思うのですが、そうゆうイメージがある。
だから便箋がなかなか減らない自分に罪悪感が常にある。便箋を捨てるなんて持っての他だ。「いい人」になろうとしている自分を捨てる行為と近い。
冷静に考えれば、「手紙を書く人」=「いい人」であるかはわからない。
それでも自分の持っているイメージというのは根強くて、捨てようとすると凄まじい抵抗感が生まれてくるのだ。
モノを捨てて、いっそのこと「いい人」になろうとする自分を諦めるもいい。
「手紙を書く人=いい人」の呪縛から逃れてもいい。
とにかくここに捨てられない理由があったことに気づいた。
便箋が捨てられない理由/便箋には雰囲気がまとわりついている
手紙というのは、文字だけじゃなくて雰囲気も伝える
なかなか捨てられない理由を考えていると、雰囲気という言葉が浮かんだ。
今持っている便箋は、簡単にいうと今の気分ではないのだ。気分が変わって昔の服になかなか手が伸びなくなるように、今の気分と異なる便箋にはなかなか手が伸びない。
布団カバーや、フライパンとは違って、便箋には「表現」の要素が強い。
それが自分らしさの表現であったり、季節の表現であったり、その人ヘむけたメセージへの表現だったりする。私らしい色合い、柄、雪がたっぷり積もったキラキラしたポストカード、リボンや淡い色合いの薄ピンクの色、少し透けている素材。
便箋は表現が多い。だから手紙を送ろうと思った時に用意するのがいい。
いくらまとめ買いが安かろうが、手元にあってすぐかけるのが便利だろうが、心の込めた手紙を書くのであれば、その時々で用意した方が今の自分にも、伝えたいメッセージにもぴったりのものが選べる。
手紙を書くなんて、きっとよっぽど伝えたいことがあるに違いない。その時に、伝えたいメッセージと便箋の雰囲気に乖離があっては残念だ。
そう思うと便箋のまとめ買いというのは、私には不要だったのかもしれない。
便箋が捨てられない理由/結局は紙である
そして一番大きい理由。これが便箋である前に紙であること。
これがフライパンなのであれば、料理に使えないとなると、泣く泣くでも捨てることになる。フライパンをお風呂の湯かけとして使おうともならない。
しかし便箋は引きで見れば紙。便箋としてはもちろん、他の何かでも応用が効く気がしてくる。メモにつかてもいいし、懐紙のように何かをおいてもいいかもしれない。とにかく汎用性が高いように見える。だからすぐ処分とはなりづらい。
やってみればわかるのだけれど、案外便箋をメモとして使うにはハードルがある。
最初は間違った使い方をしている感が拭えなくて少しばかりストレスも感じる。花柄と文字が重なって見づらい時もある。
結局、汎用性が高いと言えどその商品として生み出されたものは商品として使うのが一番良い。覚悟をもって便箋の消費に挑まなければならないのだ。
実際最近では買い物リストはもっぱらスマホ、日記も専用のルーズリーフに書くというマイルールがあるので紙といえど使い方も対してないみたいで困っている。
その便箋は、都度買おう
こうして便箋がいかに捨てづらいのか、ずらずらと書かせていただきました。
結論、書く時にその都度買いましょね、ということで一旦の結論とさせていただきます。
古い便箋は結局どうするのか…ひとまず資格勉強などにじゃんじゃん使っていこうと思います。
使わないなら古紙として出す、というのはなかなか私には難しくやはり使い話して捨てたい貧乏性なのでした。