捨てられない祖母とミニマリストの私
こんにちは、わいちゃんです。
実家に帰省して、大掃除を連日しています。
祖母の部屋も片づけを経つだっているのですが、
祖母はほんと〜〜に物が捨てられない体質なのです。
捨てられない祖母と、ミニマリストの私。
対局だけど、その価値観の背景にはそれぞれのストーリーがあるから
どっちがいいとかの話ではなくて。
ただ、そんな祖母との片付けが面白かったので
感じたことを書いてみようと思います。
捨てられない祖母とミニマリストの私
80歳の祖母、24歳の私。
それぞれの価値観が、
祖父母・・・ご飯と物は富の象徴
私・・・日々の快適に過ごすことこそ大切
捨てられない祖母
とにかく、ものが捨てられない。
笑ってしまうほど捨てられず、かと言って活用もできておらず、
ものに殺されてしまうんじゃないかと思うほど
部屋の中から押し入れ、縁側までものでびっしりと覆われて文字通り足の踏み場がない。
そして物を大事にしているから、一度も洋服を捨てたことがないんだ!と
鼻息荒げて自慢げに主張する祖母。
物が富の象徴だった時代
いやいや、それなんかゴミに見えますよ。
棚の上の物を取り出せば、30代ぐらいに買ったであろう、すこし高そうなバック専用のうっすら透けた白っぽい袋に入ったバッグが出てきた。傷一つついていない。
こんなに大事にとっていて、すごく綺麗でしょう?あげるよ!と言ってくるが、
私はわかる。高いから大事に使おうとずーーとしまい込んでいたに違いない。
保存袋には埃も積もっているし、20年近く触っていないんじゃないですか?
それより、このバックの存在は覚えていました?と思ってしまう。
物にはお金をかけない私たち
私たちの世代はよくわかっている。
物を使わなければ持っていても意味はないし、
本当に必要な物だけ所有する豊かさを。
のんびり過ごす時間こそ贅沢な時間だと知っている。
それは祖母のような人の姿を見て何か感じる人がいたからこそ、生まれた価値観だ。
私の今ののんびりライフをみて、
次の世代は何を思うのだろうとぼんやり耽ってしまう。
物が多すぎて探せない
こんな事になったのも、祖母がすこし認知症にかかったからだ。
本来孫の私があれそれいうことではないが、
すぐに財布やら保険証やら通帳やらを無くしてしょっちゅう騒いでいるから
仕方なく手伝うかあぐらいの気持ちだった。
もちろん物をなくす理由は認知症だけじゃない、
物が多すぎるあの空間では私だってなくすに決まっている。
砂漠でネックレスを落とすかのように、
一度あの魔窟部屋で探し物を、見つけ出すのは不可能に近い。
4方向の壁一面には(本当に4方向!)物がS字フックで丁寧に吊るされて、
ボックスというボックスにあらゆる物が詰め込まれている。
好きな物、過去の自分に殺される
そのボックスを開けてみるとビニール袋やら、使っていない歯ブラシやら、
壊れたネックレスなどもわらわら出てくる。
すれられないだけじゃなく、整理整頓が苦手なんだろう。
私も苦手だからその気持ちはよくわかる。
料理や食器が好きな祖母の部屋から、
手書きの料理メモや可愛い土鍋も次から次へとわんさか出てくる。
どれも祖母が昔汗水たらして働き通しで貯めた大切お金で買った物だ。
お金に苦労して仕事を頑張っていたと昔からよく聞かされていた。
料理の手書きメモだって、家族に美味しい料理を食べさせようと
テレビや友人から得たレシピを綴ったものに違いない。
それら大切な思い出たちに今祖母は殺されようとしている。
日々の探物に疲れて、出かけるのも億劫になっている。
メイクをしたくてもメイク道具を見つけるのに苦労し、
財布を探すのに苦労し、着れる洋服を見つけるのに苦労している。
60年近く住んだ家には60年分の思い出の品が溢れかえっている。
ミニマリストの私が思うこと
まずは怒りが一番に湧いてきた。
どうしてこれほど優しく頑張り屋な祖母が、
大切な物たちに殺されかけているんだという事実に。
広告、テレビ、世の中の価値観など、
全てが経済成長やお金のために嘘の幸せを演出して
一人一人の家を丁寧にゴミ屋敷に変えてきたと考えてしまうことがある。
もちろん私の価値観も、古いものになるのでしょうという覚悟もある。
物が少ないなんて思い出がないだとか、仕事もゆるくするなんて情熱がないとか、
二十歳半ばで未婚、子なしなんて、つまらないとかあるかもしれない。
何が正解などはなく、その時代時代に考えがあるのでしょう。
大事にしたいのは、自分の気持ちに素直になって自分の心で決断することだけだと
改めて祖母の部屋の片付けを通して認識したのでした。
将来世の中の価値観が移ろった時に、時代や他人のせいにしないために。