習慣
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「食べ物」に関するエッセイ

いのせゆい
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こんにちは、いのせです。
暮らしのショートエッセイを書きました。

一人暮らしの壁

かず少ない、確かなもの

料理が年々好きになるのは、なぜなのだろう。
そりゃ年々料理が嫌いになる人もいるかもしれないけれど、周りを見ているとどちらかといえば年を重ねるにつれて料理が好きになる人の方が多いように感じる。実際のところはわからないけれど。

大学生の頃なんて、とにかく料理は「するべきもの」として捉えていた記憶がある。楽しいと感じることもあるけれど、嫌々と、しかたなく台所に立つ数の方が多かった。料理をしたくないときは、冷凍弁当を食べたり、外食にいったり、カップ麺ばかり食べたりして、なんとか命を繋いでいた。

それが最近になってじわじわ料理が楽しい気持ちが育っていることに気づいた。実家を出て7年目である。凝った料理はめったに作らないけれど、作りたいなと思う日が少しずつ増えてきたのだ。

料理をすると安心するのだ。基本的には強火で炒め続ければいつかは焦げつくし、細かく包丁で叩けば食材は小さくなる。昔は料理のこの当たり前さの連続が退屈に感じていた。ところが、大人になってみると思った通りにことが進まず、びっくりしたくもないのに、しなければならないことがある。それも案外頻繁に。

だからかわりに確実な料理に癒され、安心しているのかもしれない。

もしも誰かに

得意料理と聞かれたら

もしも得意料理を聞かれたら、なんて答えよう。そんな要らぬ心配をしてしまう。

わたしとしては、厚焼き卵なんて答えたい気持ちがある。厚焼き卵が得意という人がいて、素敵だなと思ってしまったからだ。つまるところ、憧れてるのだ。特料理が厚焼き卵という人に。その味は甘いのか、少し塩見があるのか。どのぐらいの厚さで、どのような色合いなのか。想像が膨らんで、もっと厚焼き卵の話を聞きたくなってしまうし、ぜひご馳走して欲しいという言葉が喉まで出かかってしまったほどだ。

しかしわたしの厚焼き卵はといえば、「ちょっと失敗しちゃった」の枕詞なしに作れた試しがない。得意料理と言うにはまだまだ時間がかかりそうだ。いつか綺麗な厚焼き卵をつくってみたいものだ。

どうしてこんな心配をしているかというと、同窓会などで久々に旧友と会った時、案外話題になるからだ。普段どんな料理を食べているのかは、やはり盛り上がりやすい。その時いつも言葉に詰まって、歯切れの悪い感じになってしまう。だから今のうちに用意しておこうと思ったのだ。みなさんも、まだお決まりでないなら考えていた方がいいですよ。たぶん。

人参とキノコの炊き込みごはん、バターたっぷりのスパイスバターカレー、干さない大根の漬物。しっとりささみのサラダチキン。どれもしっくりこない。

そうだ、肉野菜炒めなんてどうだろう?

この間読んだ料理の本に、肉野菜炒めのコツは、たんぱく質に味をつけ、野菜にはあまりつけないことだと書いてあったのだ。うん、これかもしれない。一旦の答えは、肉野菜炒めにしておこう。

恥ずかしいけれど

お水の味

少し嫌な話なので、苦手な人は読み飛ばしてください。

美味しくないコーヒーは結構飲めるのに、美味しくない水は飲むのが結構辛い。一体どうしてなのだろう。

あるタレントが、毎日まずいコーヒーを飲んでいると言っていた。業務スーパーで格安で売られていたコーヒーを欠かさず2Lほど飲んでいるという。彼に言わせればカフェインさえ取れればいい。それが主張だった。

わたしはこれにすごく共感した。
そりゃあ美味しいコーヒーの方が嬉しいに決まっているけれど、カフェイン自体を取りたい気分が時折訪れるからだ。まるでカフェインの錠剤を飲むように。だからコーヒーを飲むとき、わたしの場合は手軽にカフェインを取りたいときと、美味しいドリンクが飲みたいときがあるようだ。

そんな理由でコーヒーは多少不味くても、許せることが多い。まあ、しかたないかと思える。

だが、水はどうしてもまずいのはつらい。

美味しい水を飲みたいと思って水を飲むことは稀だ。喉を潤すために飲む。それなのに不味いお水で喉を潤すとなると、なぜか悲しい気持ちになる。

田舎で育って、わりに美味しい水で育てられたからなのか。美味しい水が好きで、お水にお金を払うことに抵抗がない。水道水が飲料水になる、この恵まれた国でお水を買うなんてと思う人もいることはわかるのだけれど。お金がないとき、ミネラルウォーターを買うお金がなくて水道水を飲んでいたときは少しだけ心が荒んだ。

飲食店で食事の前に出された水が美味しいと、すごく嬉しい気持ちになる。

ABOUT ME
いのせゆい
いのせゆい
作家
20代。くらしのエッセイを書いています。
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