『やりたいこと』に関するエッセイ

こんにちは、いのせです。
暮らしのショートエッセイ集を書きました。
やりたいこと100をあつめる
実家に帰った時、姉が茶の間でこたつにあたりながらノートにこしこしと何かを書いている。何をしているのかと聞くと、「やりたいことリスト」をノートにしたためているらしい。
つられてわたしも日記帳にしているルーズリーフをバインダーから一枚はずして、書いてみることにした。今年やりたいことのリスト。なんだか楽しそうだ。
何を書こうか迷ったけれど、未だ体験していないことをリストにしてみようと思った。歳を重ねるごとに初めて経験することが年々減っていく。そこに寂しさを感じていたからだ。だから「初めて」やりたいことをリストに書いてみることにした。
ずんずんと勢いよくリストを書いてみる。楽しい。裁判傍聴、パラグライダー、漬物をつくる。ウキウキしてくる気持ちは久しぶりだ。
しかし徐々に筆が進まなくなってくる。20項目ぐらいでつっかえつっかえになり、25項目をすぎるとぴたりと止まってしまった。勢いよく書いている時はこんなにも楽しく、まるで無敵になったような爽快感だったのに。自分にはこれぽっちしかやりたいことがないことがないのかと、がっかりした。
とりあえず数字だけ100まで書いてみる。なんとか絞り出してみよう。できないことでもいいのだ、書いてみることが大事。そう言い聞かせて頭のすみずみを点検してみる。心の奥底をたたいてみる。するとつっかえていた弁が少しずつ緩んでくる。
そういえばこんなこともやりたかった。今はできないけれどいつかやってみたかったんだ、ということがちょろちょろと流れ出してきた。本を出してみるとか、日めくりカレンダーを作ってみる、スポーツの有段者になる。できっこないと自分で笑いそうになるのを見届けてから、リストにしたためた。
そしてリストは50になり、70になり、100までなんとか辿り着いた。まるで弁が外れたみたいに、ドバドバとやりたいことが湧いてきたのだ。
今はできっこないもの、今すぐできるようなもの、お金があれば叶うもの、玉石混交なわたしのリスト。どこまでできるだろうか。
埋まったルーズリーフをバインダーの一番前にパチリと挟んだ。
表舞台から裏方へ
小さい頃、年越しはとてつもないイベントだった。
年賀状は12月に入ると書き始めなさいよ、と母から通告が来た。気になる隣のクラスの男の子に送ってしまおうかとウンウン悩んだりする時間は、今思い返すと楽しい時間だった。実際にはクリスマスの時期に冷や汗を書きながら書き上げたのだけれど、締め切りが苦手な癖はいまだに治らない。
おせち料理は食べる専門だけれど、家族で食べるためのもち米を買いに行ったり、羽付や凧揚げをしたり、親戚を交えた人生ゲームも好きだった。そういえばおせちは数の子豆の数の子ばかり食べてたな。ぷちぷちと弾ける食感に魅せられて以来ずっと恋をしている。
そんな楽しいイベントが、大人になると違うイベントに変わってしまう。同じお正月なのに。
バランスを考えて豆も少しは盛るようになったし、親戚にお酒を注いだり、料理を入れ替えたり、おとしだまを渡したりする立場になってしまった。以前ほど無邪気に楽しめるイベントではない。大人たちは涼しい顔をしながらお正月という素敵なイベントを拵えていたのか。大人になると嫌でも舞台裏を見ることになる。やはり大人はすごいのだ。
気がつけばわたしはイベントのお客様ではなく、お創りする側になっていたようだ。しかし、もともと表舞台に立つよりも裏側でこそこそとやっている方が好きな性格である。大人になっ
わくわくする事が減ってきた時、企画側に回ってみると違う楽しみが得られた。
新しいことを探していく
大人になるにつれて、欲しいと感じるものが難しくなってきた。お金では買えない、継続していく先で得られるものを欲しがるのだ。たとえば10kmをゆうゆう走れる体力だとか、早起きの習慣だとか、冷蔵庫の余り物で簡単な料理を作れるだとか。
前はコスメとか、お洋服とか、とにかく物が欲しくて欲しくてしょうがなかったのに。いつからか、欲しいもののタイプがカチリと音を立てて変わってしまったようだ。今でもバッグが欲しい時はあるけれど、以前に比べればずっと減ってしまった。
大人になると欲しいものがなくなるんだ、なんて母が言っていた。祖母も言っていた。わたしは強がりだと思っていたけれど、どうやら違うのかもしれない。食べたいものも無くなるんだって祖母も言っていたけれど、すでにその気持ちが少しだけわかる。まったく恐ろしい話である。
しかし物質や食欲は無くなっても、コトや技術に関する欲は20代のわたしは強まっている気がする。何かを作り上げたい、人を喜ばせたい、達成したいという気持ち。
コツコツと継続しないと手に入らないものを欲しがる自分のために、苦手な「続ける」という行為を仕方なくするようになった。小学生の頃から継続が大事と口すっぱく言われていたけれど、やはり本当だった。反省した。だから料理上手になるためにただもくもくと料理を作ったり、10km走れる体力をつけるために、ひたすら走ったりした。
しかし継続というのは刺激が足りずつまらなく感じてくる。わたしの成長が遅すぎて、つまらないのだ。新しいこともたまに与えてあげないと心が腐ってしまいそうだ。燻んだ心に灰がさらさらと積もっていくみたいに、どんどんツヤを失っていく。欲しいものを手に入れる山頂だけの喜びだけでは足りなくて、結局道中も楽しみたいのだ。
努力の先に手に入るものを欲しがるくせに、毎日ちょっぴりずつ新しいことも経験したいとも望んでいる。こんな自分の世話はたいへんだ。ランニングに飽きると手軽な新しさを求めてごろんと横になってスマホを眺めてしまう。するとコツコツと続けるはずの時間もなくなっていく。
ところが山頂に登るために刺激を自分で与えてあげれば良いのだと最近気づいた。新しいランニングウェアを自分に買ってあげたり、流行りの料理器具も買ってしまえばいいのだ。
まだ使えるからと買わないようにしていたけれど、こうして自分に楽しみを与えることで大きなゴールに近づくことができるのかと今更ながらに知る。
継続した先の物が欲しいなら、それを手に入れるために「物」を手伝ってもらえば良い。まだまだ物がわたしには必要だ。
こどもの頃やっていたこと
子供の頃、ぴかぴかに光る泥団子を作るのが得意だった。
何度も何度も泥団に砂をかけて手で磨き、布でさらに磨く。そんなこと繰り返すと気づけば鉄球みたいに鈍い光を放ち始める。あまりの美しさに頬擦りするほどだった。
何のために泥を玉にして光るまで磨くのか。そう大人に聞かれても子供は「楽しいから」としか答えようがないからそう言った。すると大人は嬉しそうに笑った。そんなことをわりに鮮明に覚えている。
損得を超えた「楽しいから」という理由は、一見無駄に見えるようなことであっても人を幸せにする力があるようだった。
タワマンに住んで、毎日一流シェフがつくる料理を食べるような成功者を人は羨ましいと思うかもしれない。妬むかもしれない。
でも公園で子供と一緒になって必死に凧揚げをしている大人を見たりすると不思議と嬉しい気持ちになる。プラモデルを操縦している大人を見ても幸せになる。純粋な楽しさが人に与えるパワーはすごいのだ。
かくゆう私がどんな楽しく無駄なことをしているかというと、こうして誰の役にも立たない、お金にもならないエッセイをこしこしと書いている。これが実はものすごく楽しかったりする。
もしかして「楽しいこと」を誠実に行えば、思いもよらぬところで人を幸せにできたりするのだろうか。そんな甘い話でもないのだろうか。