小さなナリワイを育てる【苦しい社会で生き抜くヒント】
こんにちは、わいちゃんです。
最近自分の周りで仕事に関する悲鳴のような声が聞こえてくる。それも以前はぽつりぽつりという程度だったのに、今やあっちもこっちもの騒ぎである。
例えば、中学時代の友人が1人はメンタル的に落ち込んでしまい、仕事をやめて今は実家に帰っているらしいとか。ある人はもうすでにニート歴が長いらしいだとか。ほかにも仕事のストレスで血尿になった友達もいるし、生活費にお金が足りなくて実は借金をしていたんだと告白してくれた友人もいる。
こういった一般的に悲しい報告?をされるたびに、私は思う。
「そりゃあそうなりますよ」と。
断っておくと何も悩みを簡単に受け取っているつもりは毛頭ないのだけれど、気を抜けば自分だってメンタルで病んで仕事をやめたくなったり、お金を使い込んだりする自分をイメージすることは容易いから特に驚かない。
小さなナリワイを育てる
少し話は変わるけれど、最近読んだ本で興味深いことを発見した。
たしか大正時代には仕事の種類が3万5000種類もあったと言うのに今や2167種類にまで減ったのだとか。
さらに言えば、昔は四季で仕事を変えて生計を立てていた人も大勢いるらしい、というかむしろ100の仕事を持つという意味で百姓という言葉があった通りにむしろ複数の仕事をするのがどうやら普通だったみたいなのだ。
それを40年、50年の間にさらに技術力を高めるために専業性にしたらしい…そりゃあ仕事に飽きないで続けるだけでも大変なことだと思う。
それに引き換え昔のお百姓さんのように、沢山の仕事をそれなりのクオリティでこなしつつ、生活の技術力を身につけていくやり方はなんとも気楽で楽しそうだ。
今って飽き症で仕事を転々としてしまう人をどうにも働く能力が低い人だと決めつけがちだけれど、多分昔の時代ならそんなことも言われなかった。むしろ好奇心旺盛で、様々な分野で何でも屋として活動していたかもしれない。だから時代が合わなかったのだな、と思って気にすることは何もないと私は思う。
たとえ始めたナリワイがお金にならないとしても、新たに出ていくお金を防ぐことができたらそれは立派なナリワイになり得るのではないでしょうか。
ナリワイを一つ作ってみる
まずはくらしの中でこんなのあったらいいのに、というのを試しにナリワイにしてみるのはどうだろう?あったらいいけど、そんなことは儲からないから誰もやらないってことは、今って案外ある気がする。
例えばみんなが楽しく集まれる場の幹事をしてもいいし、ストレスの発散方法を提案してみてもいいし、暮らしのこだわりを話せるコミュニティを運営してもいい。
別に誰かのためになるなら続ければいいし、誰かのためにすぐにならなくても自分のためになることもある。やれば自分の頭と身体がすっきりして、意味を感じて、さらに近い考えを持った人との出会いがあればこんなにいい仕事はないのかもしれない。
ナリワイのスタートは自分で作る/直す
そしてこの苦しい社会の理由の一つにお金がある。
今は飲み水を飲むにも、暖かい家に住むにもお金がひっきりなしにかかる。
だからもっとお金を稼ごうと躍起になり、お金を稼ぐための資格を時間をかけて取ってみたり、高収入の人の考え方のような動画や本を見ることになる。
だからお金を使わずに楽しく過ごす術は、お金を稼ぐのと同じぐらいのパワーを持っているのだ。何にせよ、今はストレス社会、みんなストレス発散に驚くほど大金を使っている時代なのだ。
例えば先日、着ていたニットの肩が裂けてしまった。
破れるまで着ることがこれまでほとんどなかったので驚いた。以前はトレンドに合わせてぽいぽい捨てていたのだ。
成長した自分に満足してぽいっと服を捨てようとしたとき、閃いた。
「これ縫えばまだ着れるのかな?」
いやはや、閃いたもなにも服が破れたのなら縫うのが当たり前でしょうという方も、いるでしょう。しかし私は服を塗って着るというのは恥ずかしながら初挑戦だった。
長らく出番のなかった裁縫道具を引っ張り出して、物の試しにやってみたところ拍子抜けするほど縫うのは簡単で、ものの3分でセーターの穴は消え去ったのだ!!
新たな金脈を掘り当てた
これは衝撃的だったし、手直しすることで物に愛着が湧いたのは初めてだったかもしれない。しかも穴を開いてからの方がそのセーターのことが愛おしく感じるのだ。
節約をしようと心に決めて、毎日のように家計簿をつけ始めていたし、
クレジットカードもやめてデビットカードに切り替えもしていた。
古くなってしまったTシャツは切り刻んで、雑巾として使い切るようにもなった。
でも「壊れた物を直す」これはほとんど未知の経験だったし、そのときの高揚感は新品のお洋服のタグを着る瞬間に勝るものがあったのです。
いやあこんなところにまだ娯楽が潜んでいたとは…と金脈を発見したような喜びがありました。
自分でできることは自分でやっていく
自分で作れるものは自分で作る、直せるものは直す。
当たり前だけど、こうゆう地味なところに自分の初めてのナリワイは潜んでいるのかもしれない。今度人が困っていたら、スカートの裾でも縫ってあげよう。
驚くほど修復作業というのは楽しいということに、発見してしまったから。