習慣
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落ち込んでどうしようもない時

いのせゆい
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どうも、いのせです。
暮らしのショートエッセイを書きました。

決まって食べたくなるもの

寂しい夜にはラーメンを食べる

元気がない時、決まって食べたくなるものがある。
食べ終わるとむくむくと内側からエネルギーが湧いてくるような気がする。わたしにとってそれはラーメンだった。

ラーメンを食べると当然だが眠くなる。ぼーっとして、うとうとして、そのままベッドにごろんと横になりたくなる。身体にはすこぶる悪い行為なんだろうけれど、これがいいのだ。

もしこのまま運良く眠れたら、これ以上の成功はない。深い眠りから起きる頃には、かなりのむくみと少しの罪悪感と心がみっちり満たされている感じがする。しかたない、やるかあって気持ちになるんですよね。

ラーメンの好みは、子供の頃に関しては味噌ラーメンの太いちぢれ麺一択だったけれど、大人になって博多の細麺豚骨にも浮気している

桃の缶詰

風邪をひいたら食べたくなる

幼い頃のはなしだけれど、熱を出して寝込むと我が家では決まってももの缶詰を食べさせられた。あの、やけにオレンジ色で、甘ったるくて、おっきい桃の缶詰だ。

田舎育ちゆえ、毎日のように果物を食べている我が家で、だ。りんごもみかんも桃だって、生で食べて暮らしているというのに、どうして例の時だけ缶詰なんだろう?と今更ながら疑問に思う。きっと理由があるのだろうけれど、聞きそびれてしまった。

当時の記憶からか、いまでも風邪をひくともも缶が食べたくなる。
お皿に移されたぷるんと輝くももを、小さなフォークでぷすりと割りいれる。

缶詰のまま、まるまるの大きさで出されるため自分で好きな大きさ切って、つるつると滑るももを口に運ぶ時。今回の風邪もきっとすぐ良くなると信じられた。

風邪の時以外は、スーパーで目にも入らないので少々白状かもしれないけれど、また風邪を引いたら急いで買いに行くと思う。

ぜったいに

見られたら困るもの

たまに、ごくたまにですが、明日もし何かしらの事故で死んだらどうなるだろう?と考える時があります。いつ誰にその時が来るかは、誰にもわかりっこないわけだから、考えておいて損はないと思うのです。

冷凍庫にとっておいたいくらを食べそびれちゃうことになるけれど、それは誰かが食べてくれるだろうか。ついにヨーロッパをこの目で見る前に逝っちゃったかとか。一番人生で嬉しかったのは結局泥団子をぴかぴかに光らせるまで磨けたことだなとそんなことを考えたりする。くだらないけれど。

全然立派なことはできなかったし、人の役にどれほど立てたのかも分からないけれど、ひとまず後悔が残りそうにないのは好き勝手生きることができたからだ。

しかしもしも今死ぬとなったら心残りができる。
それは私の日記、誰も見ないで処分してくれるだろうか?ということだ。

心臓が止まったらスマホもPCもデータが処分され、日記は自然発火し、全て跡形もなくなってくれればすごく安心なんだけれど、そうゆうわけにもいかないだろう。

特に毎朝書いている『モーニングジャーナル』だけはどうにか自然発火してくれないだろうか?と真面目に考えてしまう。アンネは世界中の人に日記を読まれることを望んでいたのだろうか。

紙とペンで日記を書いている以上、避けて通れないこの問題についてモヤモヤと考えてしまう。

学生時代に戻ったみたい

ワインと絵と

友人に誘われて、上野で行われる絵画教室に行くことになった。どうやら美大生が講師をつとめているアクリル絵の具の教室らしく、3.4時間ほどでモネやらゴッホやらの有名絵画を模写してみようという取り組みらしい。

しかもお酒を飲みながらの授業とのことで、なんだか楽しそうだと思って一緒について行ってみることにした。

住宅地にひっそりと構えられたその教室は、狭いけれど好みの空間だった。絵の具やらキャンバスやらワインセラーやらがあり、入った瞬間に心を射抜かれた。久しぶりのときめきである。

素晴らしい授業のおかげでなかなか悪くない絵が描けたと嬉しくなり、頭の霧がかったモヤがぱっと晴れるような、心地よい疲労感だけが残った。

そのキャンバスを自宅に持ち帰り、狭い我が家にもアート空間ができた。その空間とは一人用の冷蔵庫の上に位置しているわけだけれど、悪くないと思う。

学生時代、美術と技術の時間以外は退屈していたことを思い出す。
また絵を描きといと思うのになかなか重い腰が上がらない。早起きみたいに、やってさえしまえば後悔しないとわかっているのだけれど。

模写したモネの『日傘をさす女』を見る度にそう思う。

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いのせゆい
いのせゆい
作家
20代。くらしのエッセイを書いています。
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